ビーイングと聞いて、誰を思い浮かべるだろうか?
恐らくだが、多くの方はZARDやWANDS、織田哲郎あたりを思い浮かべるだろう。それももちろん正解だ。サウンドに関していえば、ビーイングらしい楽曲として認知されている楽曲の多くは織田哲郎作曲によるものではないかと思う。
ただ、そんな織田楽曲をはじめ多くのビーイング楽曲を世に出せるように仕上げてきた編曲家もいる。特に主力だったのが、明石昌夫、葉山たけし、池田大介あたりだ。
今回はビーイングを影で支えた天才アレンジャーを取り上げてみよう。
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明石昌夫・葉山たけし・池田大介がビーイングで手掛けた代表曲
明石昌夫の編曲による主な楽曲
・ZARD「君がいない」「揺れる想い」「もう少し あと少し…」
・B’z「太陽のKomachi Angel」「Easy Come, Easy Go!」「愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない」
・WANDS「寂しさは秋の色」「時の扉」「愛を語るより口づけをかわそう」「世界中の誰よりきっと〜Album Version〜」葉山たけしの編曲による主な楽曲
・ZARD「負けないで」「サヨナラは今もこの胸に居ます」「マイ フレンド」「Don’t you see!」「君に逢いたくなったら…」「息もできない」「Get U’re Dream」
・WANDS「もっと強く抱きしめたなら」「Jumpin’ Jack Boy」「世界が終るまでは…」
・T-BOLAN「すれ違いの純情」
・DEEN「このまま君だけを奪い去りたい」「翼を広げて」
・FIELD OF VIEW「君がいたから」「突然」「DAN DAN 心魅かれてく」「Last Good-bye」
・愛内里菜「GLORIOUS」「MIRACLE」
・中山美穂&WANDS 「世界中の誰よりきっと」
・B.B.クィーンズ「夢のENDはいつも目覚まし!」池田大介の編曲による主な楽曲
・ZARD「心を開いて」「運命のルーレット廻して」
・DEEN「素顔で笑っていたい」
・B’z「love me, I love you」「LOVE PHANTOM」(ともに、松本孝弘との共同編曲)
明石昌夫、葉山たけし、池田大介の編曲によるビーイング楽曲をざっくりまとめてみた。今回ご紹介したのは主に各アーティストの代表曲であろうシングル曲の1部だが、実際にはこの他にもカップリングやアルバム曲など多数手がけている。
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ビーイング全盛期とされている90年代、作曲家としてビーイングを支えたのが織田哲郎と栗林誠一郎であるのに対し、編曲家としてビーイングを支えたのが明石昌夫、葉山たけし、池田大介の3人だろう。
織田哲郎も栗林誠一郎も作曲家として裏で支えた存在だ。だが、特に織田哲郎はシンガーとしての知名度もあったため、取り上げられる機会は多かった、
また、作曲者が注目されることはあっても編曲者がスポットライトを浴びることはあまりない。これに関しては、編曲の概念が複雑であることから致し方ない部分もあるが、そういった意味で「真の影の功労者」は作曲陣よりむしろアレンジャーなのかもしれない。
もちろん、織田哲郎も栗林誠一郎も天才だ。しかし、明石昌夫、葉山たけし、池田大介ら編曲陣も全員天才である。
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昭和、平成、令和と時代が変動していく中、音楽も変動してきた。売れる音楽も然り。ただ、流行した楽曲の歌メロの根底には歌謡曲や90年代のJ-POP要素が入っているものが多くあるように感じる。決定的に違うのはサウンドだ。アレンジはメロディーよりも時代に合わせていく必要があるのだ。
いくら歌メロがよくてもサウンドが時代に合っていないとヒットは難しい。ビーイングは長戸大幸というプロデューサーが存在していたので明石さんや葉山さんは編曲家というポジションだが、アレンジという作業は場合によってはサウンドプロデューサーにもなる。
そんな重要な役割をこれだけ多くの楽曲を担当してきたという点からしても、やはり明石昌夫、葉山たけし、池田大介は天才だ。
天才作曲家と天才編曲家の分業体制で生まれたヒット曲
前途した通り、ビーイングで特に知名度の高い楽曲は織田哲郎作曲である確率が高い。しかし、その織田曲を影で支えた功労者が明石昌夫、葉山たけし、池田大介らアレンジャー陣だ。考え方によっては、明石さんや葉山さんは織田さんや栗林さんを裏で支えたとも言えるのかもしれない。
実際、織田哲郎は「楽曲提供の場合、当時はギター一本かピアノだけでデモテープを作ることが多かった。作曲だけの依頼の場合、編曲には一切口を出さなかった」と語っている。織田さん曰く、編曲までやったら色々こだわりたくなるし、口も出したくなるからとのこと。
そして、以下のようにも語っていた。実際、アレンジまでやっていたら実際に世に出た10分の一も世に出ていなかったと思う、と。
つまり、織田哲郎作曲によるヒット曲、代表曲がこれだけ世に出たのは織田さんがアレンジを明石さんらアレンジャーに任せていたからこそということだ。その編曲陣への信頼は、自身のYouTubeチャンネル・3分トーキングでFIELD OF VIEWの代表曲「突然」を取り上げた際の「葉山くんはさわやかなロックを作るのが上手」というコメントからも分かる。
ちなみに、織田哲郎と明石昌夫はビーイング離脱にビーイングとの関りはないが、ビーイング曲以外でのタッグはいくつかある。中でも島谷ひとみの「解放区」は個人的にも好きな曲だ。
ビーイングへの提供は難しいかもしれないが、また織田哲郎と明石昌夫のタッグは聴いてみたい。