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織田哲郎が天才と呼ばれる理由~アニソンや代表曲・印税・3分トーキングも

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90年代のビーイングを語る上で、織田哲郎の存在は必要不可欠だ。自身の「いつまでも変わらぬ愛を」をはじめ、ZARD「負けないで」「揺れる想い」、中山美穂&WANDS「世界中の誰よりきっと」、DEEN「このまま君だけを奪い去りたい」など90年代にヒットしたビーイング楽曲に高確率で関わっている。

織田哲郎がビーイングを離脱後、ビーイング内でビックネームとなったアーティストは少なくなってしまったが、織田哲郎が自身はビーイング離脱後も活躍し続けている。

今更感もあるが、なぜビーイング離脱後も織田哲郎は活躍し続けているのか?そして、織田哲郎がなぜ天才なのか?今一度、考察してみよう。

出典:http://www.cottonclubjapan.co.jp/jp/sp/artists/tetsuro-oda/

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織田哲郎はアニソンブームの先駆者だった?

織田哲郎がビーイング在籍時代にZARDを筆頭とした数多くの名曲、代表曲を生み出してきたことは前途した通りだが、その中にアニメのタイアップがついた楽曲がいくつかある。

まず挙げるべきはB.B.クィーンズの「おどるポンポコリン」だろう。もはや説明不要と思うがこの曲はアニメ「ちびまる子ちゃん」の初代エンディングテーマ曲だ。ミリオンヒットとなり、「ちびまる子ちゃん」を象徴する1曲と言ってもいいだろう。当然、B.B.クィーンズの代表曲となった。

織田哲郎自身、日本でアニソンがヒットするするという例を作ったきっかけが「おどるポンポコリン」だったのではないかと語っていたが確かにその通りではないだろうか。「ドラえもん」然り、「サザエさん」然り、曲の知名度こそ高いもののそれが大流行したという印象はない。歌っている歌手の代表曲と言う印象もない。

「おどるポンポコリン」のヒットからアニソンという概念も作られていったように感じる。その後、ビーイングはコナンのイメージが強くなるが、ビーイングと織田哲郎はコナンも含めたアニソンブームの先駆者であると言っても過言ではないだろう。

ただ、コナンの前にビーイングと織田哲郎、アニソンという組み合わせはまだ存在していた。中でも有名なのがWANDS「世界が終るまでは…」、FIELD OF VIEW「DAN DAN 心魅かれてく」だ。「世界が~」はスラムダンク、「DAN DAN~」はドラゴンボールのテーマ曲として採用されヒットした。こちらもWANDSの代表曲となったのは言うまでもない。

その約15年後、WANDSの上杉昇と織田哲郎は中国武漢(と聞くと今やどきっとしますが…)で開催されたアニソンイベントで「世界が終るまでは…」を披露した。すると、中国人がこの曲を日本語で熱唱。これには織田哲郎自身も感激したと自身のYouTubeチャンネル「オダテツ 3分トーキング」などで語っている。

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織田哲郎は自身でもTETSU名義で歌唱した「炎のさだめ」、そして2021年も「怪病医ラムネ」の劇伴を担当するなどアニソンとの関りが深い。アニソンといえば「鬼滅の刃」の主題歌、LiSAの「紅蓮華」や「炎」がヒットし彼女の代表曲となったのが記憶に新しい。このように、アニソンとの関りが深いのも織田哲郎がビーイング離脱後も活躍出来ている要因だろう。

ビッグネームの地位維持のヒントは代表曲連発にあり

その時点で天才なのだが、ミソなのは手掛けた楽曲の多くが提供したアーティストの代表曲となっていることだ。

前途した「世界が終るまでは…」や「おどるポンポコリン」など代表曲となった曲は音楽番組やイベントで披露される機会も多い。その放送印税はCD印税よりも絶大である。いくらミリオンヒットをしてもその楽曲が披露される機会が継続的になければ印税も続かない。

つまり、放送印税が儲けられるくらいの代表曲を作ったということだ。それが今でも流れる機会が多いため、ビーイング離脱後もそのネームバリューは衰えない。そういった意味でも代表曲を作られるミュージシャンは天才である。

ただ、売り上げの瞬発的ヒットというとAKBやジャニーズなどのアイドルを連想される方も多いだろう。だが、織田哲郎はアイドルにも積極的に楽曲提供している。そして、その提供曲もまたそのグループの代表曲となった確率が高いのだ。

KinKi Kidsに提供した「ボクの背中には羽根がある」は堂本光一自身「キンキのターニングポイントとなった1曲」と評価しており、リリースから20年以上経っても未だにコンサートで披露する機会が多い。この曲もKinKi Kidsと言えるだろう。

また、AKB48に提供した「君のことが好きだから」はシングル表題曲ではないながらファンの中で特に人気の高い。織田哲郎はAKB48に3曲提供しているが、3曲中2曲がファン投票による人気曲ランキングを決めるイベント(リクエストアワー)で1位を獲得している。

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もちろん投票理由には楽曲だけでなく歌唱メンバーの人気も絡んではいるが、それでも楽曲が支持されてこそ。時代が変動しても代表曲を作られる織田哲郎は真の天才ではないだろうか。

3分トーキングの評価からも分かる天才

ビーイング離脱後も織田哲郎が天才と評価される理由として、自身のYouTubeチャンネルで配信している「オダテツ 3分トーキング」の影響も大きいだろう。CD売り上げが基盤となっていたビーイング全盛期に対し、令和ではYouTubeやサブスクなどから音楽を聴く人も多い。そういう時代の変動についていける対応力も彼がまた健在な一因だ。

実際、3分トーキングを始めたことに対し「新しいことをやってみるのが好きなタチだった」と語っていた。コロナ禍においても、マスク姿の観客に慣れないと言いながら配信も併せてライブ活動も精力的に行っている。

さらに、最近注目している邦楽アーティストにKing Gnuを挙げている。織田哲郎曰くKing Gnuは「音楽的な素養がある上で、彼ら特有の音をプラスして「新しいポップス」として鳴らしている」とのこと。

織田哲郎は時代が変動する中常に活躍してきたからこそKing Gnuの魅力も理解できるのだろう。その対応力もまた彼が天才である証拠なのだと思う。

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