ZARDをはじめ、90年代に多くのヒット曲と人気アーティストを生み出してきたレコード会社・ビーイング。かつてはヒットチャートの半数以上をビーイング所属アーティストが占めるほどだったが、2000年以降その勢いを失い、2021年現在ではビーイングというワード自体があまり話題に出なくなってしまった。
その一因として、ZARDをはじめビーイング所属アーティストに多くの楽曲提供をしてきた織田哲郎のビーイング離脱がある。
今回は、織田哲郎のビーイング離脱による邦楽界の影響をビーイング中心に観ていこうと思う。
出典:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000191.000006388.html
90年代のビーイングを支えた織田哲郎
織田哲郎のビーイングへの貢献は半端ない。ZARDなら「負けないで」や「揺れる想い」、「マイフレンド」など世代やファンでなくても知っているであろう代表曲のほとんどは織田哲郎が作曲したものである。他にもデビュー曲「Good-bye My Loneliness」やアルバム曲ながらファンの中でも人気の高い「Oh my love」など織田哲郎が作曲した作品は20曲以上ある。
織田哲郎が生み出したヒット曲はZARDだけでない。DEEN「このまま君だけを奪い去りたい」{WANDSの上杉昇が作詞)や「翼を広げて」(坂井泉水が作詞)、FIELD OF VIEW「君がいたから」、「突然」(ともに坂井泉水が作詞)、Mi-Ke「想い出の九十九里浜」、大黒摩季「チョット」、T-BOLAN「サヨナラから始めよう」など挙げたらきりがない。それだけビーイングにとって織田哲郎は必要不可欠な存在だった。
こうして、織田哲郎が90年代のビーイングに大きな利益をもたらしたのは言うまでもない。
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ところが90年代後半、織田哲郎はビーイングから離脱した。これにより、ビーイング所属アーティストが織田哲郎から楽曲提供を受けることがなくなった。もちろん、ビーイングの看板とも言えるZARDも例外ではなかった。偶然だが、同じく主力だった栗林誠一郎もほぼ同時期にビーイングを離脱したため、以降、ビーイングは大きく変動した。
織田哲郎、栗林誠一郎のビーイング離脱により、ビーイングの作曲家には大野愛果、徳永暁人といった新しい顔が出てくる。大野愛果は倉木麻衣の「Love, Day After Tomorrow」がミリオンヒットを記録し、作家デビューから2年で人気作家となった。
織田、栗林両者の楽曲への支持が絶大なのは言うまでもないが、大野愛果もまたビーイングファンから熱い支持を受けることとなる。
織田哲郎や栗林誠一郎の離脱がなければ、大野愛果や徳永暁人が作曲家としてここまで花を咲かすことはなかったのかもしれない。もちろん、全員才能があることは言うまでもないが、レジェントが在籍しているううちはそれだけチャンスも限られてくる。織田哲郎と倉木麻衣のタッグは両者の音楽的にあまり想像つかないが、織田哲郎なら名曲を生み出したことだろう。
よって、大野愛果の功績が織田哲郎のビーイング離脱があってこそと考えれば、彼の離脱はある意味ビーイングの利益と言えるのかもしれない。
ビーイング離脱後でも活躍し続ける織田哲郎
一方、織田哲郎はビーイング離脱後も多くンヒット曲を生み出している。自身がプロデューサーとして手掛けた相川七瀬をはじめ、KinKi Kids「ボクの背中には羽根がある」、上戸彩「愛のために」(織田哲郎プロデュース)、AKB48「君のことが好きだから」など2000年以降もその時代に活躍する歌手への提供が実現した。
ここで注目しておきたいのが、今挙げた3組はいずれもそのアーティストのファンからも高く評価されその歌手、グループの代表曲として成長したことだ。「ボクの背中には羽根がある」はKinKiのターニングポイントとして堂本光一も評価しており、AKB48「君のことが好きだから」に関してはシングル表題でも選抜メンバー歌唱曲でもないにも関わらず、AKBファンから人気の高い曲である。
また、アイドル繋がりで言うと2018年にはAKB同様秋元康プロデュースによるラストアイドル(厳密にはラストアイドル内のユニット・Good Tears)にもプロデュースで参加した。
これは秋元康、小室哲哉、つんくら有名プロデューサーがシングル表題曲争奪バトルをするという企画で、残念ながら織田哲郎が担当したGood Tearsは表題を取ることはできなかったが、当時のラスアイファンからは「織田さんが1番プロデューサーとして真摯に向き合ってくれた」と高い支持を受けた。なお、ラストアイドルは乃木坂などの坂道グループ全盛期に結成されたグループということもあり、若いファンも多い。
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シンガー・織田哲郎としてのライブの集客に大きく影響したわけではないが、このように織田哲郎は若い人からも支持されている。この要因として、織田哲郎は時代についていけるだけの対応力があることがわかる。自身のこだわりや信念を持ちつつ、新しいことをやるチャレンジ精神があるのもさることながら、若手作曲家・杉山勝彦氏が言っていた「90年代以降の作家は波に乗っている時に時代が変動する分、アンラーニング力も備わっている」という見解にも繋がってくるかもしれない。
それに対し、ビーイングは…衰退してしまった。もちろん、いいアーティストがいないわけではない。しかし、シンプルに人気や知名度、固定ファン獲得と言う意味では成功しているとは言い難い。利益も当然減ってしまった。
ビーイングは非常に内向的だ。それに対し、織田哲郎の作風は実に幅広い。これは彼自身が様々な音楽を聴いてきている証拠だが、それを自身の音楽へ変換する才能を持っている。
そう考えた時、織田哲郎のビーイング離脱がビーイングの痛手であったとしても、織田哲郎はビーイングを離脱して正解だったのではないだろうか。彼がビーイングを離脱しなければ、2000年以降のビーイングももう少し明るいものになっていたかもしれない。だが、彼がビーイングを離脱しなければ織田哲郎作曲によるKinKi KidsやAKB48の名曲は誕生しなかっただろう。
こう言ってはあれだが、織田哲郎はビーイングだけに留まっていてはもったいない人物だと思う。ビーイングの事情を差し置いても、それだけ織田哲郎の才能は底知れないからだ。
そんな天才が所属していたのだから、90年代にビーイングでヒット曲が量産されたのは当たり前だ。もちろん、織田哲郎だけの力ではないが、あれは奇跡だったように思う。