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中川昭一の功績~IMFへの融資や拉致問題 生きていたら総理だった?

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中川昭一氏が亡くなって10年以上経過しました。

中川昭一氏というと、2009年(当時、麻生内閣)のG7記者会見が大きく取り上げられ話題となりましたが、会議の中で中川昭一氏は大きな功績を残していたのです。政策通と評価されていた通り、個人的にも彼は素晴らしい政治家と思っていました。改めて、素晴らしい方を失いましたね。

中川昭一氏が生きていたら、総理大臣になっていたかもしれません。

出典:http://hoppojournal.sapolog.com/e245273.html

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IMFへの融資で功績を残した中川昭一

2007年のアメリカ合衆国の住宅バブル崩壊をきっかけとして2008年に起きたリーマンショック。そんな中で、中川昭一氏は10月に先進7ヶ国財務相・中央銀行総裁会議に出席した際にIMF(国際通貨基金)に新興・中小国向けの新たな緊急融資制度を設けることを提案しました。この緊急融資制度は「中川構想」とも呼ばれています。

この「中川構想」に基づく制度は各国から高い評価を受け、実際に救済された国があります。ウクライナ、ベラルーシ、パキスタンが、緊急融資を受けることで救済されたのです。

そして、2009年2月13日。中川昭一氏(当時、財務・金融相)は日本政府が表明していたIMF)へ1000億ドルの融資を実施する合意文書に正式に署名しました。1000億ドルは、日本円にして約9兆2000億円です。

これがまさしく例の記者会見が話題となったG7での出来事。結局、会見時での様子ばかりが報道され、肝心のG7で何が行われたのかがあまり報道されていませんでした。しかしこの時、中川昭一氏はとてつもない国際的貢献をしていたのです。

このIMFへの融資というのは、簡単に言えばIMFが経済危機に陥った国への支援を後押しするのもの。これだと、国が多額のお金を国家予算から寄付したと思われる方もいらっしゃるかと思いますが、厳密にはそうではありません。

中川昭一氏は、IMFに対し「日本は、自国の外貨準備(米国債)を使って、IMFに融資する用意がある」と通達しました。一方、当時の首相・麻生太郎氏は「IMFが市場で資金調達をするための担保として米国債を提供し、日本政府は財政負担なしに利益だけを得られる」と説明しています。

これは、米国債をIMFに貸し付けたということ。つまり、融資をしたのは9兆2000億円ではなくあくまで1000億ドルということです。

このIMFへの融資に対し、IMFのストロスカーン専務理事は「人類の歴史上、最大の貢献だ」と称賛。しかし、この部分もきちんと報道されないまま、結局辞任へ追い込まれました。

ですが、後にアジア経済研究所・国宗浩三氏は、「G7以降、日本の提案を受けて いくつもの改革がIMFで実現した」と当時の麻生政権を評価していました。そして、「これには担当した財務官僚や当時財務大臣の 中川昭一さんの功績があったことと思います」とも発言。

辞任以降に取り上げたものの、結局在任時は会見ばかりが話題となってしまった中川昭一氏。ですが、彼はIMFへ融資をしたことで、IMFの改革実現に海外への支援を日本の財政負担なしに実現させたのです。

拉致議連会長も務めていた

日本人が北朝鮮に拉致されたことは、日本人なら周知の事実ですね。2020年6月5日、拉致被害者である横田めぐみさんの父・横田滋さんが老衰のためお亡くなりになりました。

結局、めぐみさんとの再会を果たせないまま天国へ旅立たれてしまいましたが、拉致された方の中では帰国された方もいます。2002年10月15日に帰国された蓮池薫さん、祐木子さん(旧姓奥上)夫妻、地村保志さん、富貴恵さん(旧姓浜本)夫妻、曽我ひとみさんです。

この当時、拉致議連会長を務めていたのが中川昭一氏でした。

これだけでも大きな功績ですが、もう1つ重要な仕事をしました。歓迎会のスピーチのためその場を後にした中川氏は同じく拉致問題に取り組んでいた西村真悟議員にカメラを渡しました。帰国した拉致被害者を乗せた飛行機の中にまだ誰か隠れていると確信していたからです。

中川氏からカメラを渡された西村氏はそこで待機。すると、中川氏の予想通り、2人の男が出てきました。その男らの正体は拉致被害者を連れ戻そうとついてきた北朝鮮の監視役だったのです。

西村氏はその二人を写真に撮影。それを受けとった中川氏は、2人の顔写真とその人物についての説明文をマスコミ各社に送りました。

2人が宿泊していた銀座のホテルにはマスコミが集まり、隠密行動ができなくなった2人。結果、監視役の2人は被害者を再び拉致することなく北朝鮮に帰ったのです。

もし中川氏が監視役の存在に気づかず、帰国した時点で安心していたら再び拉致されていたでしょう。それどころか新たな被害者が出ていてもおかしくありませんでした。

横山めぐみの帰国を待たずに滋さんが亡くなられてしまったのは残念ですが、監視役を帰国させた中川氏は非常に大きな功績を残したと思います。

生きていたら総理になっていた可能性も

例の記者会見もあり、2009年8月の第45回衆議院議員総選挙で中川氏は落選してしまいました。そのわずか2か月後の10月4日、東京都内の自宅で急逝してしまったわけですが、もし中川氏が生きていたら総理大臣になっていたのではないかと思います。

もちろん再び当選すればの話ですが、生きていたら再び政治家へ復帰していたのではないでしょうか。

2009年は例の会見があった年だったため落選してしまいましたが、スキャンダルは時間が解決してくれるものもあります。よって、2012年の第45回衆議院議員総選挙で当選できれば第二次安倍内閣で財務大臣に復帰していた可能性もあります。

生きていたら…というのはたらればに過ぎません。ですが、生きていたら更なる功績を残したことは間違いないでしょう。

コロナ不況がリーマンショック超えとなる可能性も懸念されている昨今、もし中川昭一氏が生きていたら…何か違っていたかもしれない。そう考えると、56歳という若さで亡くなってしまったことはとても残念です。

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