2022年8月10日に行われた第二次岸田改造内閣にて防衛大臣に再就任した浜田靖一氏。父親はあのハマコーこと浜田幸一氏だ。
それだけに、注目される機会も多く地元・富津市での支持もあるが、浜田靖一氏の政治家としての才能はどこまであるのだろうか?
今回は浜田幸一氏の息子・浜田靖一氏について、演説の評判を経歴や政策と合わせてみていこう。
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浜田靖一の経歴や政策
まず、浜田靖一氏の経歴について。前途したように、浜田靖一氏は千葉県富津市生まれである。
千葉県立木更津高等学校を卒業後、米国ヒルズデールカレッジに留学し、その後専修大学経営学部経営学科を卒業した。大学卒業後は父・浜田幸一氏が親しい関係にあった渡辺美智雄氏の事務所に就職し、1980年、鈴木善幸内閣で渡辺氏が大蔵大臣に就任した際は、秘書官を務めた。また、1984年からは父・浜田幸一氏の秘書を務めた。
1993年、父・幸一氏の引退に伴い、第40回衆議院議員総選挙に旧千葉3区から自由民主党公認で出馬し、初当選。2003年に発足した第1次小泉第1次改造内閣で、石破茂防衛庁長官の下で防衛庁副長官を務めた。
2005年の第44回衆議院議員総選挙は本来ならば中村正三郎氏が千葉12区、靖一氏が比例で出馬するはずだったが、中村は小泉純一郎首相が推進する郵政民営化法案の採決に体調不良を理由に欠席したことなどから中村氏が総選挙の直前に不出馬・引退を表明したことを受け、靖一氏が千葉12区から出馬。結果、大勝した。同年、自民党千葉県連会長に就任。
2008年、麻生内閣で防衛大臣に任命され初入閣。父・幸一氏が議員在任中に成し遂げなかった国務大臣就任を果たした。しかし同年9月、麻生内閣総辞職により防衛大臣を退任。
2011年10月、谷垣禎一総裁の下、国会対策委員長代理に就任。
2021年5月、千葉県知事選挙大敗により自民党千葉県連会長を引責辞任した渡辺博道衆議院議員の後を受け2度目の県連会長就任。
そして、2022年8月10日、7月の安倍晋三元首相銃撃事件の発端となった旧統一教会に関わる議員の排除を目的として、9月上旬に予定されていた内閣改造が前倒しとなり、第二次岸田改造内閣が発足。それに伴い、防衛大臣に再就任した。
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また、靖一氏の政策として、憲法改正と集団的自衛権の行使に賛成。アベノミクスの評価。原発は日本に必要。ヘイトスピーチの法規制に賛成などがある。
演説の評判は?
この人達見てたら、角栄さんやハマコーさんの演説が上手かったって良く判る。
ダメだな、こりゃ。— タロット占い🍀恵躬子 (@lumba_lumba_) June 22, 2016
ハマコーって面白い政治家だったんだな〜
— テンキーだけはブラインドタッチ (@hara_peco720) January 14, 2021
次に靖一氏の演説の評判。父・幸一氏は政治家としての優秀さもさることながら、話が面白く演説も評判だった。
ところが、靖一氏の演説の評判は実はそこまでよくない。以前、靖一氏の地元で演説をしているところを見たことがあるが、正直お世辞にも面白いとは思えなかった。話にまとまりがなく何を主張したいのか今一つ伝わってこなかったのだ。
私の横にいた方々も「息子の演説はイマイチだ」と話していた。これが地元の正直な声なのだろう。
いくら政策がちゃんとしていたとしても、演説が面白くないと票も集まりにくくなる。政治家に限らず、どれだけ素晴らしい経歴を持っていてもちゃんとプレゼンできなければ大きな仕事は取れない。
靖一氏の場合、父が偉大なので今後も落選することはないと思うが、政治家なら演説も魅力的であってほしいものだ。
靖一氏は実績もあるのだから、今後に期待したい。