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かぐや姫「神田川」を語る~実は歌詞が男目線?四畳半フォークの真骨頂

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2020年、かぐや姫が結成50年を迎えた。

代表曲「神田川」がリリースされたのは1973年。48年前の楽曲である。

その「神田川」を2020年に放送されたNHKの「うたコン」で南こうせつ氏が歌唱しているのを観た。昭和、平成、令和と実に3つの時代を飛び越えたわけだが、時代が変わってもなお愛され続けている名曲である。

出典:https://www.sankei.com/west/news/190307/wst1903070026-n1.html

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四畳半フォークとは?

「神田川」を音楽のジャンルに分けると「四畳半フォーク」だ。四畳半フォークとは何か?少なくとも、10代、20代にはぴんと来ないだろう。

四畳半フォークとは、その名の通りフォークの一種なのだが、その中でも恋人同士の貧しい暮らしが歌詞で描かれている楽曲のことを指す。四畳半の部屋に同棲している恋人が貧しい生活を送りながらも愛を育む、あるいはその様子を別れた後に振り返っている姿を歌詞にしているのが四畳半フォークだ。

そう、かぐや姫の「神田川」は四畳半フォークの真骨頂なのである。もう1つの代表曲であろう「赤ちょうちん」も然り。

余談だが、四畳半フォーク繋がりで言うと、海援隊の「しぐれ坂3番地」という曲も個人的に大好きだ。だが、アルバム曲なので恐らく知っている人はそうはいないだろう。

このように、四畳半フォークを説明するなら「神田川」を例に出せば話は早い。ただし、1つだけ心に留めておくべきことがある。

それは「神田川」の歌詞に出てくる男女が暮らしていたのは四畳半ではなく三畳一間ということだ。とはいえ、四畳半フォーク=貧しい生活を送る恋人を描いた作品という意味を踏まえると、やはり四畳半フォークの真骨頂はかぐや姫の「神田川」であることは間違いないだろう。

かぐや姫「神田川」は歌詞が男性目線?

貴方は もう忘れたかしら
赤い手拭 マフラーにして
二人で行った 横丁の風呂屋
一緒に出ようねって 言ったのに
いつも私が待たされた
洗い髪が芯まで冷えて
小さな石鹸 カタカタ鳴った
貴方は私の 身体を抱いて
冷たいねって 言ったのよ

「神田川」と言えば切ないメロディの秀逸さもさることながら、とにかく歌詞が印象的だ。冒頭の「貴方は もう忘れたかしら」の時点でその世界観に引き込まれる。

この冒頭の「貴方は もう忘れたかしら」をはじめ「いつも私が待たされた」、「貴方は私の 身体を抱いて冷たいねって 言ったのよ」など歌詞に出てくる一人称が”私”であるため「神田川」は女性目線と思っている方がほとんどだろう。筆者自身も最初はそう思って聴いていた。

しかし、そうとも限らないことが判明した。「神田川」の作詞を手掛けた喜多条忠氏の発言によりそれが明らかとなったのだ。

まずは、”いつも私が待たされた 洗い髪が芯まで冷えて”という部分。喜多条忠氏曰く、横丁の風呂屋で待たされていたのは自分でもあったとのこと。

そして、最大のポイントは以下である。

若かったあの頃 何も怖くなかった
ただ貴方のやさしさが 怖かった

この”やさしさが怖かった”とは具体的にどういうことなのか?疑問に感じていた方も結構いらっしゃるのではないだろうか。歌詞全体は2人の様子が具体的に描かれているのだが、何故やさしさが怖かったのかが今一つ具体的に描かれていないからだ。

喜多条忠氏はこの部分についても語っている。

「神田川」の歌詞を書いた当時、喜多条忠氏は学生運動をしていた。機動隊と衝突する激しいデモ活動に明け暮れていたのだ。

しかし、家に帰るとそこで待っていたのは学生運動とは無縁の彼女。彼女はいつも穏やかに料理を作って待っていた。そんな彼女と暮らしていると思わず平穏な生活に心を奪われそうになったという。

だが、そのまま心を奪われるわけにはいかなかった。それは活動家としての自分の信念を揺るがせることになってしまうからだ。

彼女は優しい。しかし、活動家の喜多条忠氏にとって、自分のために料理を作って待っていてくれる彼女の優しさこそが何よりも怖いものだったのだ。

よって、”貴方のやさしさが 怖かった”という部分は男目線の歌詞だ。ただ、「神田川」自体が完全に男性目線の歌詞かと言ったらそうでもないとのこと。そこに関しては、喜多条忠氏は「よくわからない」と発言している。

つまり、「神田川」は男性、女性どちらの視点も入り混じっている歌詞だったのだ。

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